みのりのかいせつ。

Don’t  you know “I still believe”?

流石に嬉しすぎね。

 

※おことわり

自分の知りうる限りのことを書いていますが、感想は人によりますし、何より私は当事者でも古参でもないのでいわゆる『事実誤認』を含む恐れがあります。その時はごめんなさい。そもそも他人のことをこう…ベラベラと喋るのはあまり気持ちのいい行いでもないのですけれど、もし、このタイミングでプレイしてくれるオタクがいるなら、是非いろいろの事情も先に知っておいてほしい、その方がきっと楽しめるのではないかとの気持ちからです。面倒くさかったら斜め読みしてください。 

 

某ライブに向けての解説と自分語りです。

とりあえず、現在発表されている出演者(原田ひとみ・Astilbe × arendsii・八ッ橋しなもん)から考えて、以下の作品を履修すればOKだと思います。今後増えた場合は知らんMachico呼んで欲しいなELISAも呼んでくれないかなうふふあはは

 

 (古)

 はるのあしおと

 ef - the first tale.

 ef - the latter tale.

 eden*

 夏空のペルセウス

 12の月のイヴ

 ソレヨリノ前奏詩

 罪ノ光ランデヴー

 トリノライン

 その日の獣には、

 (新)

 

DL販売のあるもの(ここに上げたタイトルのうち『ソレヨリノ』以外全て)はDMMより購入できます。

https://dlsoft.dmm.co.jp/list/article=maker/id=30194/sort=date/

パッケージ版の在庫状況は公式HPを参照してね。

http://www.minori.ph/index_02.html

特にeden*以前の中古は全くメリットないよ。やめようね。夏ペル以降は豪華版にサントラが同梱だからオススメだよ。一部箱がクソデカイけど。あ、あとED曲を揃えるならAstilbe × arendsii / Minori Ending Vocal Collectionって選択肢もあります。

 

で、どれからやるの?って問題ですけど、個人的には『発売順に』やって欲しい、どうせなら。順番にやって、それぞれが発売された時の雰囲気とか、前作との関係とか、スタッフ構成の移り変わりとか、会社としてのミノリがその時々にどういう選択をしてここまで来たのか、を知ってほしいって言うか。偉そうなこと言ってごめんなさい。

でも、『2度死んだ』メーカーが(意味わかんない人はごめんねあとでちゃんと後述します。)ここまで来てくれたのだから、そういうところに感情を持たずにはいられないんですよ。個人的にもうメーカーライブは無いと思ってたし(だって流石に今更でしょ)、なんかそういうスパッとした別れ際も『らしくて』良いわね、と思うぐらいには信者力を発揮したり、でも去年は未練タラタラ名古屋行ったり…東京行ったり…完全に原田さんの追っかけと化してましたから。うん。嬉しい。

 

プレイ順ですけど、『そのけも』、はやっぱり最後にして欲しい。今更だけれど、あの作品が『最終作』だったと知ってみれば、なるほどこの台詞はそんなつもりだったの?と思うところもあるんです。だからこれはこれで面白いはず。それか『ソレヨリノ』、を最後にするのも好いと思うんですね。ライブ6月だしこれから夏って感じで…作品としても1つの到達点にあると思うので。推せます。

もし『一部作品だけプレイ済みだよ!』とか、『くすゆいを出せ(いやそれはだいたい全部出てるから)』『ひよ絵しか勝てないんだけど(まぁまぁ全部いるから)』『お金ないんで楽曲派でいいですか?』『おっぱいが大きくなったミノリちゃんには興味ないです』…まぁ色々あるよね、興味が出た順とかでもいいです。OPを聴いていい曲だと思った順とか。でもできるだけ、全部やって欲しい。

 

 

以下、各作品のネタバレ回避で楽曲派な解説

 

はるのあしおと』より『春 -feel coming spring-』

 

『Delivery “spring” to your heart ...as soon!』なんですよ。故郷に帰った主人公くんの成長を描く、春の暖かさを知っていく様子のお話。オタクも間違いなく最後で裏切られるし、そこでタイトルのスケールを知ることになるし、止まってた時計の針がいま動き出しちゃうし、とにかく全体の雰囲気が既にminori感出しまくってて大好き。色々語りたいけどネタバレになるから言えん早くやってくれ。なんかこうやって振り返るとこの頃のminoriちゃんはずいぶん素直だったのにねぇ~、みたいな感じがするね。

 

『春 -feel coming spring-』は天才。去年2回生で聴いたけど(ここオタクのマウント要素ね)イントロ出だしのチャ〜ラ〜ラ〜で高まりすぎて跳ねちゃうんですよ。映像で言うとまずイントロから新海誠やんけ!感全開で来る、画面を左右分割するところなんか完全にアレだし、カーブミラーから右にパンして『そ・ら・を追い越せ』で3人の傘が開く、それからもう1人の傘も開く…ここポイントだと思うんですよところとか。ビートとしては力強いけど旋律としては柔らかいギャップ感、と言うのでしょうか、春の芽吹きを感じさせる魅力があると思います。オータムリーフが演奏してるやつとか海外兄貴がピアノアレンジしてる動画もあるので見て。ありえん良い。

https://www.youtube.com/watch?v=E7AaH8igrEM

https://www.youtube.com/watch?v=5VvbUAEhZ44

音楽に国境はない、なんていうのは陳腐な言葉だけれど、確かにいい曲というものは、歌詞の語学的な壁を越えて、人類が原始的に共感する旋律への理解、メロディーそのものとして評価されるものだと思うんです。私はその昔東方のオタクでしたけれど、あちらの界隈の広さを見るに、それこそ、その通りなんじゃないかと思うわけで。

 

たぶん『一曲目』。秒針の音から来る。間違いない俺は詳しいんだ。

 

 

『ef -the first tale.』より『悠久の翼/eternal feather』
『ef -the latter tale.』より『emotional flutter』『ever forever』

 

言わずと知れたあの作品。手を離してしまったはずの『2人』と、彼らにまつわる幾重に重なった『2人』の ”群像劇” 。映像、は言うまでもなく、音楽、構成、描写、美術、全ての要素に異次元のクオリティを備えた文字通りの名作。制作期間3年半は伊達じゃない。ef -a fairy tale of the two.はいわゆる前後編分割で、first tale./latter tale.でセットです。『天使の日曜日』ってFDもあるよ。あんまり手に入んないかもだけど。(天使の日曜日に限っては中古しか手に入れようがない?はず。) とりあえず先を急ぐなら飛ばしてもいいけど後でやってね、タダのFDじゃないから。あといろいろの映像のブルーレイが付くから。アニメは…うーん先に観るのも後に見るのも一長一短かな…

あ、それからAlatoの話をしないといけないですね。ef、には Alato ”ef -a fairy tale of the two.” ORIGINAL SOUNDTRACK つーサントラがありまして、ボーカル曲と全編のBGMを網羅したディスク3枚組、75曲197分に及ぶ大作なのですけれど、(お値段も超大作だね)(asteriskeden*“ も狙いたいけどいよいよ破産だよ…)これを是非聴いて欲しい。ささやかに天門先生の宣伝をすると、minori的には天門先生にこの先の各作のOPと、だいたい全部のBGMを書いて頂いてるんですけれど、やっぱり先生の作品として『秒速5センチメートル』を外すことは出来ないと思うんです。秒速、の『End Theme』とef、の『Bouquet.』で世界最高の勝負ができる。はたまた海外兄貴の演奏を聴いてみてね。

 https://www.youtube.com/watch?v=NqgqWqfRkqg

 

『悠久の翼/eternal feather』があっての『emotional flutter』だし、『emotional flutter』あっての『ever forever』なんですよ。当たり前ですけど。教会で2人が話してる…あの冒頭から始まって、セリフがフェードアウトしつつイントロが聴こえてくるの、めっちゃ好きなんですよね。あんなセンスの塊みたいな演出ある?どっかの誰かが書いてましたけど、”エロゲ感”の境地、みたいなものだと思うんですよねあれが。やっぱり映像抜きには語れない曲で、とりあえずfirst tale.のイントロで曲に合わせつつごく自然に星が煌めくところ、サビ前からの連続シャッターでカメラが上に飛んで俯瞰で回り始める、親の顔より見たあの構図、latter tale.のイントロでまーた雨粒が(以下略)とBメロで3人がシルエットになってるとこ、あとやっぱり天使の階段!いろんな場所で持て囃されがちだけれど、やっぱりそれには理由があるのだから、斜に構える必要もないのかな…私はいつ満足できるレンブラント現象を見られるんでしょうね…をね、見て欲しい。で、全部終わったらもう一度見ろ。きっとまたそこで初めて "解る" ところがあります。

…『ever forever』だけフル尺の映像があるんですよ。きっともう一度流れます。私はもうそれだけで最高にエモいし嬉しいよ。あ、教会を背にして3人でくるっと回って歩き出すオフに参加してくれるオタクを募集しています。集合場所はハイデルベルクで。僕より身長のある方でお願いしますね。

 

 

eden*  They were only two, on the planet.』より『little explorer

 

 ーーーそれは地球で最後の恋物語

2人の出会いから物語は動き出す。

すべてを燃やし尽くした星と少女の、小さな物語が。ーーー

 

 死にゆく楽園(ほし)へ、最後のラブストーリー。

 

いやいやいやいやあのさぁ。こんなエモい舞台あります?eden*は他のどの作品ともかなり雰囲気というかスタイルが違って、一切の選択肢もルート分岐もない、文字通りの『インタラクティヴ・ノベル』というか、ちょうど一本の小説を読み進めるように物語が進みます。いわゆるミドル(ロー?)プライス1ヒロインってやつ。お値段≒文量もお手軽で、かつその中に確かなメッセージが認め(したため)られていて、何より圧倒的な演出がオタクの心を確実に物語世界に引きずり込む、そのメッセージを心に深く突き刺すための手助けをしてくれます。いわゆる立ち絵、が一切ないことも話題になったりしましたね。

死にゆく楽園(ほし)、という舞台設定は如何にも妙だなと思っていて、全体として閉じたコミュニティを世界観として没入感を高めること、美術演出の輝く背景-例えば野に咲く花、煌めく水面、そこに射す陽の光、それらがより多く現れる状況を作り出すこと、そして何より『終わり』の中にあって『始まり』を描く、その対照性によって感傷をより強めること。その全ての要素の前提として、死にゆく楽園(ほし)、の舞台設定が1点に集約され機能していて、制作側が発揮しうる魅力を最大限に引き立てている、作品に『メーカーらしさ』を持たせていると思うのです。

とにかくminori未経験のオタクにまず一本!勧めるならこれかな、と私は思っています。購入はこちらから。個人的には全年齢版派。https://dlsoft.dmm.co.jp/detail/minori_0012/

 

『little explorer』、一番とか言っちゃうのはほかを否定しているようで嫌なのですけれど、一番好きなんですよね。天門×原田ひとみ、ここに極まれりって感じですよ。マジで。バシッと入るイントロ、圧倒的に伸びやかで突き抜ける歌声、そこから深く情感を呼び起こすバイオリンの旋律、一方で爽やかさすら感じるような新しいギターカッティングの音作りのスタイル、確実にうごめくベースライン、決して間を詰めること無く緊迫感を出す絶妙な拍回し(ここが天門is天才って感じ)、緩急の付いた飽きのこない構成。どこをとっても天才。映像で言えば、まずイントロ間奏のカメラが下にず~っとパンするところ、深い星空からいくつもの陽が巡り、斜光の射すまで。あの一連の長い一枚絵のグラデーションと、それから控えめに現れるタイトルロゴに、いち映像作品としても、本編を踏まえた意味でも、いつ見ても心を掴まれます。あとはやっぱりシオンの手を取って走り出す-“ 遠く遠く果てなく 手と手取りあえれば “ の場面、それからもったいないんじゃないかと思うぐらいスチルを連打するその後の部分でしょうか。ロケットの打ち上げってどうしてああも絵になるんでしょうね。コスモナウト。

あとね、オタクに紹介してもらった1ヶ月前(!)に投稿されたばかりのMAD動画を紹介しますね…終わったら見てね…見て。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm36119424

 

 

夏空のペルセウス』より『The Brave Under The Summer Sky.』 / 『Still Love You』『Under the Same Sky』『When the Sleeping Princess Wake Up』『Grab the Star』

恋ちゃん。

『こいちゃん』じゃないです、『れんちゃん』って読みます。全てはここから始まったんですよ。オタクはいちばん最初に、恋ちゃんのキャラデザに唆られて夏ペルを買ったんです。そんでガチ恋したらなんか知らんけど信者になってた。実妹(!)、気が強くてブラコン、庄名絵、黒髪ロング、 ”楠原” ゆい。役満オタクが包丁のスクショばっかり貼るからなんかテンプレート的なヤンデレキャラだと思ってるでしょ?違います。恋ちゃんはそんな浅いキャラではないです。なんてったって『お人好しな兄のことを、姉であり母であり、ひとりの女として愛している(公式)』子ですからね。メインヒロインではないのだけれど、結局夏ペルは恋ちゃんの恋ちゃんによる恋ちゃんのためのお話なんですよ。むしろ本人以外の√でこそ本領を発揮しますから。異論は認めます。恋ちゃんの話ばっかしてるけど透香も結構すきだよ。

 

ところで、実は夏ペルとeden*の間にはもう1タイトルあって、それが『すぴぱら - Alice the magical conducter』だったんですけど…ちょっとお金を使いすぎちゃったらしくて、夏ペルはその裏である程度制作が進められていてはいたんですけど、SPPLのアレコレでお金がない、もう会社を畳みましょうか、ってなったんですね。で、その時に『資金は用立てるのでひとまず夏ペルを売ってみてはどうか』という話を出してくれたところがあって、そこで初めて夏ペルが販売されることになったんです。その時の判断がなければ以降の作品はもちろん全部存在しなかったし、さっき『2度死んだ』と言ったその『1度目』はここなんですよ。

それから、そのすぴぱらのOPは一旦違う方が歌ってらしたんです。原田さんではなかった。ただ夏ペルを売るときになって『原田が歌わなければminoriは潰れる』『やっぱりここは原田ひとみを』ということで、原田さんはこのとき事務所的な都合で18禁作品はNGのはずだったんですけど、お世話になったメーカーだから、ということで、『The Brave Under The Summer Sky.』以降、minoriのOPは特別に歌っていただけることになったんですね。ここ感動ポイント。あとくすはらゆいさんのアレコレのエピソードもあるんですけど…それは後述します。

 

『The Brave Under The Summer Sky.』のことは、実はその当時めちゃくちゃ好きってほどではなかったんです。あんまり曲の知見もありませんでしたし。けれどいま改めて聴くと、またminori随一の落ち着いたナンバーのような気がして魅力を感じます。本編の雰囲気にも合ってるなぁと。いやOP映像で恋ちゃんが出てくる度に多動するだけだからなんでも一緒なんですけどね。『ずっと、すき』が、ずっとすき。

それから。夏ペル以降の各作品にはWebラジオがあって、なんとなーく発売カウントダウンとか販促とか兼ねながらノリで10回ぐらい、くすはらゆい(の演じるヒロイン)をメインパーソナリティに据えつつ、毎回ゲストを呼ぶスタイルで進行します。かわいいから聴いてみて。ぺるらじわ~

https://www.youtube.com/channel/UCRgueSVmxmkBye29tc6eNmQ/playlists

https://www.nicovideo.jp/user/29430044/video?order=a

 

 

 『12の月のイヴ』より『RUN.EVE.RUN』 / 『present』

宇奈原 由紀!!!!!

…来ました。クリスマス・イヴに出会った不思議な女の子と、その ”遠い” 未来にまつわるお話。『12月のイヴ』でもないし、『12の月のイブ』でもないです。ここらへんからいよいよ本格的にえっちな部分がすご~くえっちになってきて、オタクも\\\いぇ~い///って感じなんですけど、いやそんなことよりとにかく宇奈原由紀なんですよ。宇奈原由紀。フルネーム呼びするとガチ恋っぽいよねうふふ。つい先日鋏鷺せんせーがSSを書いてくれましたけど(終わってないオタクは読んじゃダメだよ!)、幸せを願わずには居られない系ヒロインっているじゃないですか、間違いなく由紀ちゃんはその最先端にいると思うんですよね。あ~でもみずかも結構すき。健気ヒロインは幸せにしたくなるしだらしない美少女はお世話したくなるよね。

プロローグがあります!プレイ前に読もうね。(音が出るよ)

http://www.minori.ph/lineup/12mooneve/10mooneve01.html

 

『RUN.EVE.RUN』はね、これまた天門先生の才能をありえん感じるんですよね。冬の冷えた空気、空に舞う『雪』、クリスマス・イブのワクワク感、けれどただワクワクするだけではない、意味深な奥行き。これだけの感情を普通1曲で表すことができるものか???とにかく最初から最後までメロディックで、気がつけば3回はリピートしているような、そんな曲、しかも歌詞がいいから気がつけば口ずさんでる。作詞はnbkzくんですよ!The Brave Under The Summer Sky. がしっとり系ナンバー優勝候補だとすれば、RUN.EVE.RUNがポップ系ナンバー優勝候補つーか優勝確定ですわこんなもん。ほんとすき。たぶん本編とか関係なく一番ウケる曲なんじゃないかなぁ。某アストラエアが響きそうなやつと似たベクトルを感じるわね。

『present』/英語のプレゼント、にはもちろん贈り物という意味と、それから過去、現在、未来の現在という意味があるけれど、この2つの意味が同じ言葉を持つのは『現在という時間は、神様からの贈り物だから』って語源があるらしいね。うん。

 

” 遥か遠い道の その先にあるものを

  抱きしめる胸には 笑顔溢れているの ”

 

 

 『ソレヨリノ前奏詩』より『Cherish』 / 『prologue』

永遠ちゃん…

来ました(2回め)。こんどの舞台は夏。巡る夏の日、一度は離れ、再びに出会う運命の2人と、それにまつわる新たな2人との物語。そして、その全てが、この先の未来(あした)に贈る ”前奏詩” 。オタクが2本目にプレイしたminoriがこれでした、そして、2本目にプレイしたminoriがこれで本当に良かった。

とりあえずこれ読んでもらえます?大丈夫大したネタバレにはならないから。

 

声優コラム【くすくすくすっと花まる日和】第2回

『ソレヨリノ前奏詩』くすはらゆい - Getchu.com:げっちゅブログhttp://blog.getchu.com/archives/52246341.html

 

間違いなく言えます。『ソレヨリノ前奏詩』は『夏空のペルセウス』『12の月のイヴ』を越えてきた、新しいminoriの流れにおける1つの集大成であって、押しも押されもせぬminoriの名作です。メインヒロインをあくまで少し遠いオーラスとして、同級生や幼馴染といった距離感のキャラクターを配置しながら、彼女らの物語を繊細に絡み合わせ、それを乗り越えていく主人公 / 読み進めていく我々が、彼が彼女に伝えるべき/我々が彼らから伝えられるべき言葉を見つける。それはあくまでインタラクティヴ・ノベルの原点でありながら、頂点にあるべき意図に違いない。『それぞれのヒロインの、時には恋人、時には友人としての、物語を紡いでいく立ち位置』、『誰かに気持ちを持つことに、自分が為すべき責任』、そして『愛を伝えるにあって、いちばん大切なことは何か』。ここまでの作品をなぞってきた貴方なら、きっと分かるはず。それらに対して遂にminoriが用意した答えが、ソレヨリノ、だったのではないかと、私は思うのです。

まぁ難しい御託は抜きにして永遠ちゃんがマジでかわいいから。早くやれ。永遠ちゃんまじふぉーえばー。泣いてる顔もかわいい、でも笑顔はもっとかわいい。シュウ君もガンガン動くから見てて気持ちいい。推せる。言いそびれちゃったけど、はるかのろくでもなさ、みたいなのもオタクは結構ツボにきてるよ。あとメイド服。

 

『Cherish』、いやまーた天門センセはとんでもない曲を書きやがりましたねこの人は。イントロから明らかに雰囲気をビンビン感じるでしょ?才能の幅どーなってんの?そろそろオタクの語彙力が先に途切れそうで怖い。夏の爽やかな風を感じさせる、符点を挟んだスネアのリズム、軽やかなピアノとバイオリンの旋律、けれど確かにハリのある歌声、そして何よりこの少しずつ変化する切なさを秘めた歌詞…これね!作詞はまたまたnbkzくんですよ!オタクは折角関東から近いのだから、今年の夏は京急に乗って横須賀へ、観音崎灯台へ出かけて欲しい。ちゃんと上まで登れるから。僕を呼んでくれてもいいです。

『prologue』さぁ、ズルくない?つーかまずタイトルにセンスがありすぎ。あくまでも1対1の歌詞の、この切実さに乗せてcherishのメロディーを引用してくるのはズルいよ。ここから先の各EDにはちょくちょくOPの引用、アレンジが入るんですよね。オタクのライブ号泣ポイント。どうか、この前奏詩の先に、2人の永い物語のあらんことを。

 

涙溢れてもいいの ずっとふたり 永遠に続くから

 

 

『罪ノ光ランデヴー』より『Rendezvous』 / 『hIKArl』『Shadow Memory』『Cage and Engage』

 

ちょっと我慢ならないんで曲の話から始めて良いですか?『Rendezvous』ね、さっき私は『little explorer』が一番すきって言いましたけど、これ同じ方向にあるんですよ。いやむしろ成分の濃さとしてはさらに上を行ってるかも知れない。くっっっどいぐらいの天門サウンドと、ぶっっっとばすぐらい突き抜ける原田ひとみボイス。これですよこれ。優勝。オタクの現場バイブスブチ上げポイント。きっとその当時、残念ながらその当時のリアルタイムを私は味わってはいないけれど、Rendezvousを聴いたオタク共は本当にワクワクしたと思うんです、俺たちの天門×原田ひとみが帰ってきたぞ!って感じで。

…流石に嬉しいんですよね。2018年のEGGを逃した以上もう死ぬまで聴けないと思ってましたから。嬉しい。

 

” その罪のトンネルを 駆け抜ける力が欲しくて ”

 

『罪ノ光ランデヴー』は、また1つの節目というか、作品のビジュアル面の、それから中身の雰囲気をとっても、ここから『トリノ』に向けて新しい流れが始まった、というか、なんとなく『ソレヨリノ』までとは違っているように感じるんです。中身のお話はちょっとここでは出来ないけれど、 【追記することにしました。非常に抽象的なネタバレを含むのでどうしても敏感な方は避けてね】 シナリオ上必ず登場する起承転結の『結』、問題提起に対してどういう落とし所を用意するか、という点においての『罪ノ光ランデヴー』『トリノライン』には、夏ペルからソレヨリノまでのそれとは全く違う-身も蓋もない言い方をすれば、『世間的なウケ』を敢えて第一の目標としない覚悟、があったと思っていて、トリノはさておき罪ランの世間的なそれ、に多少の問題があったことは否定し難いように思います。それは凡そ次のような言葉で形容されていて-優柔不断、後半の失速、そして何よりさもありなんと思ったのは『何でもないことを、それらしく語っているだけ(!)』というものでした。けれど、遠野恋を見てきた上での椿風香、姫野永遠を見てきた上での真澄あい、とは何だったのか。お伽噺ではないこの世に、何らかの物語があるとすれば、その内実とはつまりどういうものであるべきなのか。そういったことを考えた時に、罪ラン、のまた1つの意味が見えるような気がするのです。

人がなにかの問題に直面するとき、『問題』とはつまるところ、変えられないもの=既に手の届かない過去、人の手には大きすぎる世界、に帰属していて、自らの手によってのみにはその前提を変えられない。が故に問題は『問題』となる。そして、 ”変えられないもの” に対して我々が反抗する時、そのための手段は自ずと限られたもの、つまり『変えられるもの』としての現在の自分を贄に差し出す、本来の意味での自己責任論、言い含めての現実主義に拠るより他にないのです。

お伽噺ではない-言ってしまえば、都合の良い超常現象なんてないこの世、に何らかの物語があるとすれば、それは全て-避けようがなく等身大であって。『なんでもないこと』をそれらしく語ること、を否定するのは、共感性の否定、つまり現実の全ての物語をー自らの存在と思考を矮小化して貶めるに等しい。そして逆説的に言えば、創作物においてそのような『現実主義』を貫き通すことは、現実上の読み手に対してあくまで真摯にメッセージを発するための、覚悟そのものであるように思うのです。もちろん創作物として、ふんだんに超常的な要素を盛り込んだファンタジーを、その結果として『面白い』ものを演出することは、むしろ王道であるようにすら思いますけれど、そうではない、『斜に真剣を構える』愚直さと面倒くささが、彼らのつまるところの魅力ではなかったか。

We always keep…の言葉に嘘は無かったと思うのは、安易でしょうか。

 

ビジュアル面、というよりは光の扱い方というのかな、ソレヨリノまでのそれが積極的にゴーストやフレアを表現していこうという方向性だったのに対して、ランデヴーからはコントラストや彩度を強めて、写実的な魅力を増しているというか。わかりやすく言うと色が濃くてエロい。オタクがいちばんたくさんシーン回想を開いた作品です。あ、あと豪華版パッケージの箱絵がたまらなく好き。ちょっとキラキラさせるな。人里(へんぼり)のバス停に行きたい。去年は4月20日頃が満開だったらしい。東京から近いからオタクは行け。俺も連れて行け。(2回目)

 

 

トリノライン』より『Tetra.』 / 『volière』『leftRE』『fil...』

※おことわりと謝罪

今から『トリノライン』の話をしますけど、私はそのFD『トリノライン:ジェネシス』を現時点でプレイできていません。ごめんなさい。なんでライブの予習的な意味で言えば取りこぼしがありますし、FDをやらずに本編を語るのは…うーん許して?以上、ご容赦ください。

 

minoriの、もう一つの集大成。ヒロインとの関係性(最近この言葉の意味するところをようやく理解し始めたので使ってみた)を考えた集大成が『ソレヨリノ』だったとすれば、インタラクティヴ・ノベルとしてのメッセージ性を、この時代にあってもう一度見つめ直す、その集大成が『トリノライン』ではなかったかと思うのです。『ef』の項で書きそびれてしまったけれど、私がそれを良いものと思っているのには大きな理由があって、果たしてある一点でそれぞれの√が分岐する、そして以後交わることのない典型的なエロゲのスタイルが、物語としての意味を持たせるに耐えうるのか。あくまでもひとつ伝えるべき、見定められたメッセージに向けて物語の線が集まっていく ” 群像劇 ” のスタイルこそが、インタラクティヴ・ノベルの形態の上に一本の物語を立てる-そのための唯一に冴えたやり方なのではないか、と思うのです。『ソレヨリノ』然り、その意匠を受け継ぎつつも、いま時代に求められる作品としてあるべき新しい=オリジナルの形を完成させること。抽象的な話になってしまったけれど、それがつまり『トリノ』が未だスタッフ各位に、ユーザーに永く強く愛されている理由の、その本質ではないかと思うし、なにより私自身が抱いている感想なんです。

自分の見てきた界隈の中でも、比較的若い方で『トリノライン?やったよ!minoriの過去作とか会社としてのことはよく知らないけど、面白くて考えさせられる、いいゲームだったよ!』って言ってくれる方は結構いらっしゃって、それもまた1つの結果なのかな、と思います。

柔らかい話をすれば、『トリノ』は美しい夏の情感を感じさせてくれる、1つ1つのスチルが綺麗なんです。またそれがよく練られた、シナリオ上のここぞ、というタイミングで登場するので強く印象に残る。カメラを持つようになって気付いたことですけれど、夏と冬とでは光の色が、空の色が、海の色が全く違うんです。そして、より強い陽射しは、より濃さを増す影を生む。眩しさと、色彩と、そのコントラストの感覚の中にあって、トリノのそれが、minoriのまた1つの集大成ではないかと思うのです。父島は行きたいけど…流石にハードル高いよね…

 

『Tetra.』以下、『volière』『leftRE』『fil...』の各曲も、なんと言うべきかトリノらしい魅力に溢れている、むしろその存在がトリノらしさ、を補強しているというか。音楽的な魅力として円熟の域にある、ということなのでしょうか。

『Tetra.』はいち楽曲としての魅力がminoriでも随一のナンバーだと思っていて、イントロの裏で動くベースからありえん好きが爆発しそうなんですけど、RUN.EVE.RUN、Cherish、そのバッグラウンドにある雰囲気を一発で観せてくる曲もある、little explorer、Randezvous、味のはっきりした曲もある。その一方でTetra.は意味深、と言うべきでしょうか、一度聴いてはまだわからない、その曲の先にある情景をあからさまに提示することはしないけれど、確かな迫力を持って聴く人を引き込む、緊張感と予感に満ちた曲だと思うのです。たとえその作品のことを知らなかったとしても、聴いていてほしい曲。そんな風に思います。

『leftRE』、と言うよりシロネ√のそれ、にどうしようもなく心を掴まれる部分があって、あの物語の最期にあってオルゴールを巻く、巻いた分が終わればもう一度巻いて、アウトロのギターのトレモロに至るまで。ただの涙にもあらず、号泣、というよりは嗚咽、であることに相応しい一曲であるように思います。某Vocal collectionの『アルバム最後の曲』であることもまた、その1つの意味かな、と。小樽の某オルゴール店に発注したいね…発注したい曲が多すぎるけど… 

 

夢の中で見てた あの温もりは 

  本当とか嘘とか わからないけれど

 

 

『その日の獣には、』より『Limelight』 / 『[Attacca.]』『Be the Wind』『Tone of Flower』

 

遂に辿り着きましたね。ここまで付き合ってくれた貴方に感謝と祝福を。ちょうど一年と少し前、あの頃はまだA2だった日本橋のンルガヤで私が購入したのが、minoriの最終作『その日の獣には、』です。

恥ずかしながら、私がリアルタイムでその発表から発売までを追いかけることの出来たminori、は『そのけも』だけで、ここまでの9つの作品に対しては、ティザーサイトを眺める楽しみも、タイトルに想像を膨らませる楽しみも、何より発売日を心待ちにする楽しみも、私は立ち会うことが出来なかった。だから何だ、と言われればそれまでですし、オタクのプレイする作品のほとんどが結果的に『過去作』であることは当たり前のことなのですけど。それなりに界隈を彷徨ってようやく見つけたおいしいお店、が1回食べたら閉店になっちゃった、と言ってみればやはり寂しいような気はします。

けれど、私はその解散…ではなくてソフトウェア制作の終了、でしたね、を些かでも恨んでいる、とか、期待を裏切られた、と思っているわけでもなくて、寧ろあぁ~良かったなぁとすら思っている。という話を、最後に沿えておきたいと思います。信者だね、の一言で片付けるな。

 

 

その昔、ある方から『美術館の存在意義とは?』という話を頂いたことがあります。彼曰く、まず、芸術とは興味があるからのみに鑑賞すべきものではない。鑑賞の対象とすべきなのは、自分のいま好きなもの、興味のあるもの、またそれに類似するものばかりではなくて、今はまだ興味がないものも含めて-むしろその、今はまだ魅力が分からないものに対してこそ、その鑑賞を通して魅力を理解する、ある人がその作品に魅力を感じる『価値観』を理解することが、芸術鑑賞の意義なのだと。 

ですから、美術館の存在意義とはつまりそのガイドラインであると。美術館の側は常設展示によってそのスタンス、芯を明らかにする一方で、定期的な催事-企画展によってある程度の質、を保証した複数の『芸術』を提示していく、市民である我々の側はその選別と解説をガイドラインとして、自己の価値観の涵養に利用する。そのためにこそ美術館は、市民社会の一部として存在するに値するのだ、と。ですから、ちょっと砕けて言ってみれば、彼にとっての美術館とは、例えば私達に取っての、時間が余ったので本屋に寄ってみたところ蔵書が増えていた、とか、暇だったので祖父に行ったら積みゲが増えていた、とか(笑)、そういった感覚に(多少なり)近いものだったのでしょう。

 

皆さんはどうして、次の、またその次の作品をプレイしますか?声優買い、絵師買い、主題歌が気になったから、話題の新作だから、オタクに勧められたから、オタクがやってて楽しそうだったから、ライブがあるから、銀髪がいるから、理由は色々あると思います。もちろんそのうちの1つの理由に拘る必要はなにもないのですけれど、結局最初から、私は『メーカー買い』というものに憧れていたのではないか、ちょうど先程の話で言えば、それはつまり彼が『美術館の存在をガイドラインに』していたように、『メーカーの名前をガイドラインに』することではなかったか、と思うのです。

結局、単価1万円に迫るような、作品買い切りの世界にあって、「俺はお前を信じる。お前の感性と、今お前が作りたいと思うものを信用する。俺はお前の新作を買う。だから、お前はお前の作りたいように(言うまでもなく、妥協のないように)それを作ってくれ。」…という感覚は、別に何か大袈裟なものではない。むしろ当然の帰結とさえ言えるものであって、その『信頼』を『砂の上に築く』ことが、現実世界に落とし込まれた、"ブランドの名を冠すること"の総体ではないかと思うのです。

-例の解散に際して、自分がこんな言葉を書いたことを思い出しました。結局、全ての創作活動とは、『作りたいもの』『作りうるもの』『求められるもの』の狭間にあって、如何に『作りたいもの』に積極的に説得力を持たせられるか、という作業であるように思うのです。もちろん、営利目的の活動である以上『作りたいもの』ばかりを追うことは叶いません。『作りうるもの』と『求められるもの』の乖離が決定的なものになったとき、然るべき結末もまた訪れます。けれど、『求められるもの』を作ることにひた走ること-それを良く言うことはとても簡単なように思いますし、数字にも現れますでしょうけれど、クリエイターがその主義信条を見失い、ユーザーの趣味嗜好に広く浅く阿ってしまうことは(そういう例にやはり心当たりがないわけでもないのですが)、有り体に言って『面白くない』と思うのです。

 

 作品制作というものは、己の欲求を満たしていくものであると同時に、こと商業においては、お客様のニーズに応えていくものでもあります。「我々が作りたいもの」を欲して頂けるお客様が居るに違いないというのが、そもそものコンセプトだったわけですが

そのポリシーを曲げてまで存在し続けることは、過去から積み上げてきた何か大切なものを崩す気がします。

ですから、私が求めていたものは結局『minoriが作りたいもの』であって、それをいかなる形、理由であれ『もう作りたいものはない』と彼らが言うなら、もはや私の成すべきことは何もないのです。私の仕事とは、卑しくもその作品にあやかって、それをしゃぶり尽くした挙げ句にアレだコレだと勝手な妄想と妄言を垂れ流すこと(ちょうどこのように。)であって。重ねごとになりますけれど、その幕引きがこうして行われたことが、結果として彼らが最後まで『作りたいもの』に執着を持っていた、世間の趣味嗜好に阿ることを良しとしなかったことの-いえ、綺麗事は止して言うなれば、『私がそういったクリエイターの理想像をminoriに求めた、信者をしていたことが見当違いではなかった』ことの証明であるように思うのです。あ~あ言っちゃった(笑)

 

つーかゲームの紹介してないわ。もういいか。ここまで読むような人はきっとやってくれる…よね?友瀬瑠奈ちゃんをよろしくおねがいします。

 

 -アタッカ(伊:attacca)は、多楽章の楽曲または組曲形式の楽曲において、楽章/各曲の境目を切れ目なく演奏することをいう。前楽章と次楽章の始まりが一致し、間に休みを置くことなく、連続して演奏される。

終わりのないこの物語に 新たな章を作るの

 

 

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塔とか灯台がやたらと好きでしたね

 

 

 

頼むからチケ握らせてくんね?キャパ800で大丈夫?ここまで大口叩いといて外れたら流石に辛いんだが。頼む…

追記)じゃねえよとりあえずいつやるんだよ…