月の彼方で逢いましょう

年始に書こうと思ってたけど下書きが消失した

けどなんやかんや折に触れてツイートの筆が乗るので書かないとダメだと思った

 

・うぐいす先輩

演出力の塊。キャラクターの延長に演出があるのではなく、演出の原点にキャラクターを置いたバケモノ。特に今作で言えば3人の一角としての立場でもあって(後述)、二度と出会えない何かがあった。

文字としてのメッセージを(亡くして後に)ヒロインの声で音読させるという演出、紙芝居ゲーの一つの理想解ではないかと思います。だから、『原点の演出にキャラクターを置いた』、とはそういうことであって、そういう演出を、もしかすればそれは気取ったものになりかねないと思うのだけれど、あくまでも澄み切った、品のいい日本酒のように実現してくるのはもしかしたらとんわの"強み"というものなのかも。

読む専門だった人間が、書く才能に触れ、自らもその営みに挑み、完成を以て文字通りに去ること。当事者性、というのは言葉に重みを持たせるための唯一かつ第一の手法だと普段から思っていて、物語的な感情移入とは別に、それを実現していく展開には常に戦慄してばかりでした。一方で『朗読』というファクターは彼女の置き土産であって、主人公としてはそれを反芻することでより真髄を知ることになるというか。主人公との恋愛云々はもちろんそうだけれど、彼女のいち人格としての時間の流れと、物語的な演出にその文脈を投影することに恐るべき意義があった√、だと感じました。

 

『聞かせてくれないか?その話の続きを。』

 

・灯華

今日から灯華ヤクザになろうと思うんですよ。こんな素敵な子他にいる?オタクを本物の『ガチ恋』に貶めるための距離感を演出してくるな。なーんか消化不良シナリオとか抜かしてるオタクが多すぎてオタクちょっと怒り抑えられないね。

そもそも主人公くんの執着具合が率直に胸に刺さるんですよ。件のシナリオですけど、もういちいち書かないけど、色々考えた挙げ句私は全てに嫌というほど納得がいきました。考えれば考えるほど如何に彼女がいい子だったか、が刺さる、今も尚SSで補完され続けているところではありますけれど。最後の最後、既読だけを付けて電源の落ちる描写には流石に鳥肌が立ちました。『電波塔に登る、声繋いで響かせるよ』じゃないけれど、今作のメインヒロインはやはり彼女を置いて他にないわけです。あくまでも自分の手で、自らの人生のスケールを決定することを望むけれど。一方で誰よりも他人の機敏を見ていて、飄々とした態度の裏側に真摯さを秘めている。とにかく本当にいい子なんです、いまいち納得行ってないオタクにもどうか理解して欲しい。

解釈は必ず1つに定まるところばかりではないけれど、それは決して未完成を意味するところではない。結局自分に解りうる場所が、1から50、30、いや10でしかなかったとしても、そこから徹底的に解釈と想像と裏付を探してしまうのが恋心ってものじゃないですか。違います?

 

・雨音ちゃん

あのさぁ~~~~~そういう泣かし方止してよ。マージでやめてくれ。流石に最後までそういう方向性だとは思ってなかったし、その瞬間に雨音ちゃんのみならず先の二人の全てを持ってくるのホントに称賛以外の何物でもないよ(早口)。こういうテーマが自分にこれほど刺さるものだとは自覚していなかったし、そういう意味では自分も多少なり大人になったのかも知れないな、なんて思ったりしました。

過去をあくまでも全否定するのか。2人分のズレた自分に、2人分の新たな可能性を託すのか。過去を、現実を肯定することを、それでいて肯定せざるを得ない形で受け止めるのか。(現実を肯定すること≒過去を『在りてあるもの』として受け入れること、の構図は、名作と呼ばれうる作品のメッセージとして、往々に見受けられるテーマだけれど、その提示の仕方として『時間差』と『両親』のギミックを持ち出してきたセンスが、それだけで純粋に称賛に値すると思う)、もちろんまずキャラクターとして圧倒的にかわいい子でもあったけれど、そうした意味を受け止めるだけの奥深さ、というか芯をまた持っていた子だったと思います。

月かな全体に言えることですけれど、ともかくこの作品は『個々としての価値』と『全体としての意味』を両立させてくることに、おそらくそれがここまでに培われたきたもの、なのでしょうけれど、ブランドの実力を証左させてきた作品だったなと。演出のうぐいす先輩、構成の灯華、メッセージの雨音ちゃん。いちばん最初、終わって直後のインプレッションに『大中小どのスケールで取っても全く隙がない』って言葉を吐いた覚えがあるんですけど、ここに結局行き着くなぁと思ったりします。2019の大作として私がプレイしたのは、あとはもゆ。ぐらいしか無いのですけれど、それと比して勝るとも劣らない、それぞれに魅力のある作品だったと思います。

 

2020に期待しましょう。

 

f:id:Parsel_Y:20200805013901j:plain



 

きまぐれテンプテーション 感想・考察

 きまぐれテンプテーション 感想・考察

スマホの方へ:PCビュー表示推奨です!】

 

 

f:id:Parsel_Y:20200805014825p:plain

こんなん正妻でしょ(立ち絵鑑賞モーション70で再生しろ)

 

たぶん何かが一歩違えばやってなかったゲームのお話

やった今となっては推してます

推してくれたオタクへ:ありがとう

 

購入経緯のお話

 

 お前の話なんかしらね~よゲームの話をしろ。って人は飛ばしてね

 

しるきーずぷらす?は何だろ、アペイリアとかバタフライシーカーとかやってるオタクが身内にいるな~ってイメージ、きまテン的には~ななリン?とかあけいろ?の線上にあるらしいけど私はどっちも知りませんでした。

 

毎月?ではないけれどツイッター廃人エロゲーマしてるとなんか盛り上がってくる作品ってありますよね、今年だとそれこそもゆ。とかアオナツとか。高評価めっちゃ流れてくんじゃんやべ~いい作品なんだろうなってなる

ツイッター張り付き情報収集って結局『誰が』その感想を吐いてるか、まで確認できるので(時間はかかるけれど)、匿名性の投票サイトよりはよほど有益なんですよね

 

きまテンはなんか正体が掴めない感じはしていて、あーこれイチャイチャする感じっぽいけどそういうゲームではないんだろうな、ということは伝わってきてました

となると『面白いかどうか』ってのはやっぱりより大事になってくるので、(だってキャラ推しかわいいかわいい脳死ゲなら勢いだけで走れるじゃん)どうやら話の展開として面白いらしい、しかもなんかガチ恋こじらせてるオタクおるしこれはいけるやつとちゃうか?という機運の高まり。

あとはそういうロープラ1キャラの作品を最近やってね~なというのと、探索パートがあるような作品も触れたこと無い、そもそもシルプラ作品自体が童貞だからいい機会?じゃん?と思った次第です

 

本編のご感想とご考察

 

※ネタバレ入りま~~~~~~~~~~~~~~す※

 

 探索パートのあれこれは普通に新鮮で楽しかったですね、意外と地の会話文で誘導?が入ってたり、間違い踏んでもやんわり戻される仕様だったりして優しい方なのかなと。

キャラ別の好感度を高める?みたいなシステムでもない(はず)なのでニュートラルに楽しめたと思います?でも説得シーンは1周目だとしくじったよ。

あと、気付ける伏線の数と気付けないギミックの数がバランス良くて楽しめました。

101号の違和感とかそれこそ芳香剤なんかは…勘付いた人も多い?のかな

時系列順に書いてみますね

 

まず最初に(ここで全体を見ないと話が進められないので)チャートはこう!

 

 

お風呂でイチャる ▶ お部屋でイチャる  ▶ 説得成功  ▶ 【      】

                     ▶ 説得半失敗 ▶ 【終幕】

                     ▶ 説得全失敗 ▶ 【後悔】 

         

         ▶ ここではイチャらない ▶ 説得成功  ▶ 【約束】

                      ▶ 説得半失敗 ▶ 【終幕】

                      ▶ 説得全失敗 ▶ 【後悔】

 

お風呂でイチャらない ▶ 絶対にイチャらない ▶ 説得失敗(強制)▶ 【解決】

 

完全独立の分岐として:墜ちる ▶ 【----------------】

 

追記:多分初回プレイ時には(少なくとも【約束】には行かない)ルートロックがある

のかな?ここまだ確認できてないです

 

で、説得の選択肢×3なんですが

色々試したんですけどどういうトリガーなのか全然わからんです

なんかいろんな記事見てもばーらばらなので全打ちやったった。

 

 ※1=上の選択肢、2=下の選択肢、です

「121」なら3つの選択肢で上、下、上を選択したことになります

 

ハーヴィ

111 ○ 

112 ○ 

121 ○ 

122 ○ 

211 ○ 

212 ○ 

221 × 

222 ○

 

 ロージィ

111 ○

112 ○

121 ○

122 ○

211 ○

212 × 

221 ○

222 ○

 

クーリィ

111 ○

112 ×

121 ○

122 ○

211 ○

212 ○

221 ○

222 ○

 

つまり、アンネとのイチャを全部拒否しない限り説得の可能性は同じ、の場合はそれぞれ7/8の確率で同様に説得は成功して、【終幕】と【後悔】にも同様に分岐。

全部拒否、の場合はどの選択肢でも強制的に説得は失敗、【解決】に進みます。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

で、私の攻略順?というかエンド回収順は

 

【終幕】▶【解決】▶【     】▶【----------------】▶【後悔】▶【約束】

 

になりました。

 

最初は何も考えず「イチャイチャする~でもできるだけ203のほうが安全そう。」と思って『ここではしない』を選んで、でも全員の説得に成功できなかったので【終幕】 

次に「え~やっぱイチャっちゃダメ?なやつ?」と思って全部断ったので【解決】終幕√のあとに説得だけやり直せば約束√行ってたと思うんですが、それ以前の選択肢で固定展開なのでは?と思ったのと、そもそも解決√では強制的に説得は失敗するので気付けず。

で、「じゃあもう全部即時イチャイチャするわ」と思ってみたら【   】を踏んで、オイオイオイオイオイって感情になったのでちょっと整理して…

 

 203号室の侵食差分

ここで気付いたのが、サリィがインターホンを鳴らしてきた日:調査3日目の晩と、決着を付ける日:4日目の朝の203号室の侵食差分で

 

A:お風呂でイチャった後、アンネの部屋でイチャった場合

f:id:Parsel_Y:20200805014952p:plain

f:id:Parsel_Y:20200805015021p:plain

帰ってくると部屋は中汚染(黒いシミのやつね)で、ち◯ちんしゃぶるイベントを経て翌朝には重汚染(赤い目のやつ)になってます。


B:お風呂でイチャった後、アンネの部屋ではなく203号でイチャった場合

f:id:Parsel_Y:20200805015121p:plain

f:id:Parsel_Y:20200805015441p:plain
帰ってくると部屋は汚染なしで、ち◯ちんしゃぶるイベントを経て翌朝には中汚染。


C:お風呂イベントの時もその次の日もイチャらなかった場合 

f:id:Parsel_Y:20200805015500p:plain

f:id:Parsel_Y:20200805015514p:plain

帰ってきても部屋は汚染なし、しゃぶるイベントは発生せず、翌朝も汚染なし。

 

つまり、

・アンネの部屋でイチャると部屋の汚染は一番酷くなる

・部屋が汚染されていなくても、しゃぶるイベントが発生すると汚染は悪化

・一切アンネとイチャつかなければ、最後まで部屋は全く汚染されない

 つーことです。

もちろんこの時はもう【     】を踏んでるのでアンネの正体は理解してましたし、ここまで正確に把握したのはこの記事を書くにあたって検証したからなのですけれど、つまり交われば交わるほど部屋の=結界の内側の汚染は悪化する、ということで『さもありなん。』と思ったわけでした。すぴぱら2まだ?????

 

で、おおよそTRUE(があるならば)最初の【終幕】から説得を3人共成功させることで進むだろうと目星をつけて、その他BADの回収から進めたわけでした。

 

 アンネの一人称

ずっと微妙に違和感抱いてましたけど、アンネの一人称ってブレますよねおそらくデフォルトが『あたし』で、キャラクターの創造主たるみりあ、の性格が強く出るときだけ『ボク』になるのかな…と

『ウチ』と『私』もアンネを構成してはいるけれど、キャラデザを担当してるみりあとはちょっと意味合いが違う…からその2つの言い方は出てこないのかな、なんて

(だって4パターンも一人称が変わったら露骨すぎて伏線にならんし)

 

f:id:Parsel_Y:20200805015552p:plain

f:id:Parsel_Y:20200805015810p:plain

f:id:Parsel_Y:20200805015731p:plain
f:id:Parsel_Y:20200805015836p:plain

f:id:Parsel_Y:20200805015709p:plain

f:id:Parsel_Y:20200805015721p:plain

 

NORMAL/BAD

【終幕】と【後悔】では結局気付かずじまいの悠久くんですが、【解決】でだけは気付いてるんですよね

f:id:Parsel_Y:20200805020052p:plain

【解決】ということはアンネの誘いを全部断っている、ということで(そこからし辿り着けないENDですから)、TRUEで語られる独白…悠久くんが初日、ないし2日目からアンネに抱いていた疑念と直感、に強く従った場合、ということなのでしょうね 

 

それから【     】に塗りたくられたこの血は誰の血、なのでしょうか

悠久にはアンネは斬れない、ならば。

f:id:Parsel_Y:20200805020113p:plain

 

 

TRUE

偽物の私を、本当の私にして。なんてセリフがありましたけど、どうも似たようなことを言ってた子を思い出すんですよね

『私を、永遠にして』

 

ー 人ならざる者とは、つまり『魂』の中に『肉体』がある。

ー 人を贄に、鬼を産み出すことは禁忌とされている。

 

ー さぁ行こうか、『相棒』!

f:id:Parsel_Y:20200805020137p:plain

 

 

総括

いや舐めてましたミドルプライス。ごめんなさい。コレ本気で今年の部門覇権あると思いますよいやマジで。推してくれたオタクありがとう(2回目)

一言で言うと、とにかく伏線の敷き方と拾い方が丁寧だったなと。起承転結を整えるということは、つまり飽きない展開を見せる:エンタメ性を持つと同時に、キャラクターに対してきちんと向き合う:物語性を持つことに結果するわけで、そういった所が高評価の内実になっているのかな?と思います

ノンフィクションには自ずから動機と、経緯と、結果がついて回り、それぞれに因果を持たせることができますけれど、フィクションにおけるそれら、は全て架空のもので、何なら無くても事は進みます。けれど、敢えてそれらを取り揃えるようなナンセンス踏むからこそ、歪な形、現実ではない現実の模倣でありながらも『現実の上に』物語価値はあり続けてきたし、これからもあるのかと思います。

 

各キャラの人物像とか感想には敢えて触れてません。それは個々が自由に感じるもの、というよりは、(もちろんこれは創作中の話だけれど)他人がアレコレ評価するようなものではないのかな〜と。どうか安らかに、って感じです。

人の心は弱いけれど、それ故に優しさを忘れてはいけないんだな…と

 

でも、私らが一番覚えておかないといけないことは、早速語られていた、とも思うのです

 

   

 

 

つまり…結局のところ。

人を害すのは、 なんだ。

 

 

 

 

 

読んでくれてありがとね、ダーリン!

 

 

 

 

 

2019-11-14

追記ですクリックしてリンク開いてね

 

 

 

 

 

2019-2-28 / minori解散

 

平成の終わりに、minoriは解散あそばされました。

何を言えばいいかはわかりません。前座から始めさせてもらいます。

 

世界というのは、人生というのは、おそらくに『群像劇』ではないかと思うのです。

群像劇、すなわち個々の物語の、断絶し交流した、不連続的な集合体。

私が文字を書く時、それを読むあなたの物語がある。電車に乗り合わせた時、ひとり

ひとりに物語がある。行き先があり、帰る場所があり、そのそれぞれにまた物語が

ある。私と、あなたと、彼らの物語がある。

物語には前後と、左右の広がりがあります。前後とはつまり、過去と未来への繋がり

があるということ。左右とは、その時に、同時並列に存在するということ。

 

『群像劇』とは、言い換えれば "街" です。いえ、群像劇の舞台が、街であると言う

べきでしょうか。人がある場所に住む。ある場所に仕事を持ち、ある場所に学び、

ある場所で人と出会う。所帯をもち、時には遠くへ離れることもあるかも知れない。

でも、またいつか彼らは帰ってきます。それが街。

私とあなたと彼らの、行き先と、帰る場所と、出会いの場所が "街" なのです。

 

翻って、何故、雨宮優子の舞台は、『音羽』という "街" だったのでしょうか。何故、

古河渚は、街に運命を囚われていたのでしょうか。(efとCLANNADを並列に語ること

は、時代という観点から見てそうナンセンスでもないはずです。何せ2期が2期とも裏

番組でしたからね。)

それはつまり、彼女たちが、それぞれ『群像劇』≒ "街" の総体、ひとつの象徴であった

からではないでしょうか。もしご存知なら、それぞれのあらすじを、今いちど記憶から

なぞって、思い浮かべて欲しい。個々の物語が集約する地点として、彼らの行き先と、

そして最後に帰る場所として、彼女はそこにあったはずです。

 

もし、もうすこし広げた見方をするなら、例えば民の住まう国と、それを治める王女が

いるなら、それもまた住まう人々の群像劇と、それを象徴するヒロインの構図になるで

しょう。ユースティアとかね。

 

 

話を戻しまして。

minoriというのは、最もこんなところで知ったような口を聞いては怒られるに違いない

のですが、最後まで同人サークルであったと思うのです。それは、某社長の物言いや、

ゆるふわと告知されたいくつものグッズや、時には自らぶち上げたイベントや、ファン

に優しいんだか優しくないんだかのサバサバとした態度やら、でも会いに行けばなんや

かんやいつでも会えちゃうような距離の近さ(優しいじゃねぇか)。

何より作品の…その作り方に言えることです。

 

(以下引用)

2つ目は「自分たちが作りたい(または作ることができる)もの」と「みなさんが欲しいもの」の乖離を感じており、どちらかが無理をして合わせることはお互いにとって不幸でしかないからです。作品制作というものは、己の欲求を満たしていくものであると同時に、こと商業においては、お客様のニーズに応えていくものでもあります。「我々が作りたいもの」を欲して頂けるお客様が居るに違いないというのが、そもそもminoriのコンセプトだったわけですが、日に日に「求められる」ことが大きくなっていき(これは当たり前のことなのですが)、多様性を維持することがここ数年特に難しくなりました。そして、我々は「求められる」作品を作れるほど器用ではないということです。

(引用おわり)

 

この部分を読んだ時に、私は諦めるしかないのだということを、底の方で理解するに

至りました。そして同時に、最後まで(というほど長い間見ていたとは、とても言え

ないのですが)私の信じたminoriの在り方が保たれたことに、なにより感謝せずには

いられないと思ったのです。

私がよく読む人の言葉に、こういうものがあります。『世に広くウケた自作品の、何

が魅力であったかをよく洗練し、次に繋げるブランドだけが残っていくだろう。』

それは実にその通りです。しかし、またそれと同時に『作りたいものを、作りたいよう

に作ってくれる』ことが、私のようなものにとっては楽しかった。信者じゃねーか。

 

(以下引用)

minoriというブランドは、創設から現在までに関わってきた全てのスタッフたちの血と汗と涙と努力によって作られてきました。そのポリシーを曲げてまで存在し続けることは、過去から積み上げてきた何か大切なものを崩す気がします。よくスクラップ&ビルドとは言いますし、社会においては非常に重要なことではありますが、それによって出来上がる新たなチームはminoriという名を冠する必要はありません。

(引用おわり)

 

nbkzと愉快な仲間たち、でいいんですよ

結局、単価1万円に迫るような、作品買い切りの世界にあって、「俺はお前を信じる。

お前の感性と、今お前が作りたいと思うものを信用する。俺はお前の新作を買う。

だから、お前はお前の作りたいように(言うまでもなく、妥協のないように)それを

作ってくれ。」…という感覚は、別に何か大袈裟なものではない。むしろ当然の帰結

とさえ言えるものであって、その『信頼』を『砂の上に築く』ことが、現実世界に

落とし込まれた、"ブランドの名を冠すること"の総体ではないかと思うのです。

だから、もしまたいくらかのメンバーが集まったとしても、そこにminoriの名が冠

されることはない。

 

そもそも、私がminoriというメーカーに興味を持ったきっかけには、ある楽しい事件

ありまして。

フォロワーAがいました。Bがいました。AとBと私は互いに相互でした。Aはefを中古で

買いました。動きませんでした。公式対応にハネられた(minoriは中古品を、文字通り

認知しません)彼はゴニョゴニョに手を出し、Bはそれをスクショ、正確にはデスクトップ

の映り込みから公開処刑

で、それはその当時、ツイッターの結局ごく狭いエロゲーマー界隈で話題となり、もち

ろん元気な公式を巻き込んで(その頃は語尾にニヒッが付いてたと思いますが)、その

公式の愉快な(愉快な)物言いをさらなる燃料に盛り上がりを見せたのですが。

私はそのとんでもない態度に衝撃を受けると共に、(たぶん2個か3個前の記事に書いた

ような気がしますが)言いたいことははっきり言っちゃえ、という思考の人間なので、

その際に知り合った古参某氏のイントロダクションもあり、なるほどminoriに強烈な

印象を持ったわけでした。

 

その後暫く業界の流れのようなものを見て、また自分がいくつかのメーカーと作品に

触れ、それぞれの毛色について理解を深める中で、自分のやりたい作品、自分がどんな

作品を面白いと感じ、それを作り得るのはどんなメーカーなのかということについて

展望が開け始めた時、目線の先にminoriがありました。そういうことなんです。

 

モノを作るとはどういうことでしょうか。そこには常に、予算と、製作期間、より有り

体に言うなれば『発売日』という2つの制約があります。もし一切のそれらを廃した、

中世の画家とパトロンのような(最も彼らとてそう御伽話のような世界には居なかった

でしょうが)制作ができるなら見ものでしょうが…おそらくそれは、壊滅的な意味で、

実現し得ないでしょう。

価値あるものを作る時に、制約は必ずしも必要ではない。

しかし、価値あるものとは、須らく制約を乗り越えて生み出されてきた。

『俺たちには、このチームしかない。だから俺は、このチームで挑みたい。』

美しさとは、何らかの制約を乗り越える時に生まれるものではないかと思うのです。

 

後は何を言えばいいのでしょうか。ef、すぴぱら、そして夏ペルからの流れについて

補足するのは誰かがもっと上手にやるでしょう。クラファンとか、リメイクその他曲芸

とかは…絡めて話せなくもないですが、そもそも私はクラファンについては確かな考え

を持ちませんし、(なんかそんな記事があったと思うので、適当に "minori クラファン"

とかで検索してください) 後者に関しては、『minoriがそっちに走らなくて良かった』

なんて、言う方がどうかしています。

最後に、件の、"古参某氏"の言葉を拝借します。

 

minoriという物語が、舞台が完結したのだと思う』

 

私は、この恐れ多くも若輩の立場にあって、しかしそれ故に、また私にしか見ることの

できなかっただろう世界の中で、その、終幕を見届けることができて、幸せでした

『その日のminoriには、』。

 

R.I.P. "minori

ever, forever.

 

 

追記

散々萎え散らかした私でしたが、各オフィシャル方面のコメントを読んでたらなんだか

前向きな気持ちになったんですよ。私もまだまだですね。お疲れ様でした。